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2008年のまる

では、昨年度の句読点を付けるとすることに、しましょうか。

本当に個人的には、やはり学会で終始した昨年でした。
夏の梗概作成の時期になってもまだ全体像が決まらず、
何回かの事前発表の時にまで肝の据わらない話をして、
師匠などには随分と心配をかけたものと思われます。

だいたい発表用原稿とそのレジュメ完成が、前日だからね。

元ネタの一つが膨大な量の資料だったために、
随分と時間がとられました。
だいたいの概要つかみの一読は夏で終えたのですが、
その結果得られたこと以上のことは、
どこにも書いていないんだ、ということを確認する作業というのは、
疲れると同時に、非常に辛いものでした。

内容は、最近もてはやされているあちらの国の人の議論が、
伝統的な「実践哲学」上の議論では、
あまり新味のないものである。 しかし、
その文脈上評価できることがあるとすれば、
それは、新たな統制要素を、「構造」という概念で括ったこと
くらいという事を指摘したものでした。

その結果、最近あんまりかっこよくないことのように思われている
「理念」とか「理想」とか何とか言うものを
ちゃんと語り合わないといけないよ、なんて指摘したつもりです。
(特に、はやりの思想家で終わって欲しくないと期待する
 「官学」の学者の皆さんには。)

まあ、だいたいが原語をよく考えれば、「構造」なんだから
大工さんが基本構造をいじくる話と考えれば、
新味はないわけです。

ただ問題は、
誰が、いつ、その基本構造を「認識」し、
どのように、効率よくコントロールに使うのか。
その先に何をするのかとか。

と言うことなんだ、ということなんです。
実践法哲学の社会統制論上の問題。
一言で言うと、そういうことでしょう。

しかしこの発表後に原稿化が控え、
それをなんとか提出した果てには
墓地の土地所有権に関する報告書をあげ、、、

と、そこまでで、倒れました。
あまりの座り続けに、尾てい骨まわりが化膿し、激痛が伴うと共に、
熱を放ち、ついに。。。(けして痔ではありませんぞ。念のため)

あ、2008年には、もう一つの○もありました。
それは別稿にいたしましょう。

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