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2009年1月

久々に研究会に出席し・・・

私が付け加えることなしに研究会と言えば、それは私の専門分野になるわけですが、正直に言うと、ここ数年きちんと研究会なるものに参加していなかったことが悔やまれました。私の学会発表に向けても感じたことですが、やはり専門を同じくする人々の話を聞くことは、色々と刺激になります。

そこで交わされる議論の水準、概念の用い方、論理の運びにも刺激を受けますし、それによって自分が一人だけでは想像も及ばなかった事柄にも気づくことがあります。

また、今何が学会の話題になっているのかを知るだけでも、意味のあることでしょう。

それだけでは、意味のない事とも考えられますが、今、自分が何を言うべきか、自分が何を学会水準に貢献できるかを確認するためにも、やはりきちんと出席すべきであると、改めて反省。それはかつても論じられたこともあるかも知れないけれども、今それが忘れ去られているならば、誰かが、たとえそれはかつての誰かと同じ事でも、言うべき事なのかも知れない。

およそ日の本に新しいことはないとしても、私が、私の判断する文脈で、たとえば今の文脈で、私の言い方で言うことは、それなりに意味のあることではないのか。

そんなことを考えさせられた、久々の研究会でした。

も一つ感じたことは、久々に関東の御大お二人の精力ですね。
私の師匠も同じ次世代らしいが、あの世代の活力には脱帽しますね。エネルギーのあるこった。誰かそろそろきちんと対立すべきではないだろうか。同じ世代間だけでなく、彼らに論陣を張るような世代交代もはかられるべきだよね。なんてことも思ったりした会でした。あ、いや、自戒を込めて、きちんと対決できるように、勉強せんといかんなと言うことを自覚したと言うことです。

とは言え、本当はその後の二次会にも参加したかった。
だって、いわば公的場での発言が下手な、あるいは舌足らずで誤解されることの多い私は、きちんと自分の発言をフォローしたかったし、本日の発表者に聞いてみたいことがあったんだよね。

しかし、田舎に住んで、しかも迎えにきてもらわねばならない身としては、今の時期はまずいしなー。と言うことで、ちょっと残念。

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「山桜」を見て

たった今、見終えました。

韓国はまりのここ数日でしたが、やはり日本映画は良い。

出演俳優のここが良いとか、
東北の四季の景色が良いとか、
色々と書きたいことはありますが、
とりあえず、本日忘れないうちに明記しておきたい点は、二点。

一点は、なぜに日本映画の時代劇の方が、
韓国時代劇より、私にとって良いのかという点と、
二点目に、
藤沢周平描く、あるいは本作も描く、
政治の大きな枠組み選択は、
いつの時代も変わらないのかも知れないという点の、
二点について。

まず一点目。
本作の個々の出演者の押さえた演技、
言葉を費やさずとも、
人間の本質的な部分で理解し合えていますよ
という、一定の人々の会話のやりとり。
それは、
何とも言いようのない、しかし哲学するものにとっては、本当は言語化しなくちゃいけないものなんだけど、とりあえず、本日は許してねと言うことで、まるで、能楽のような、様式美は、やっぱり、良いものでした。

本作は、
ラスト15分のために全編が作られているような映画です。
良い映画でした。
私は、自分の娘たちに、けっして何事にも媚びることなく、一途な思いを秘めながら、それを現実のものにするような子に育って欲しいと、切に思いました。(しかも、美しい所作と、ポジティブな思考や態度でね。)
男としては、もちろん・・・。

さて二点目、長文になったので、簡潔に。
人々の生活や領国の経済を良好に保つには、
持てる者や階級に依拠して、経済の活性化を図るか、
もしくは、生活者の視点で、富の増大化をはかるか。
結局は、その経済政策の選択を、ずーっとやっているだけなのかと言う感想を持ったという話です。

でも、持てる者の経済力に依存して、全体経済の活性化を図るとしても、自分が肥え太っちゃいけないよね。というのは簡単な話で、どっちが良いかは、経済学に関しても、一定の自分の見方を作れなければいけないと言うことなんでしょう。

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横浜市が小中一貫教育を実施

だから言ったじゃないの。五年も前から。
http://www.asahi.com/national/update/0119/TKY200901190093.html

義務教育の枠組みは、中学まで。
教育行政の枠組みの中で、効率的に地域教育を組み立てようとすれば、やっぱりこの枠組みは魅力的だ。

子どもの教育を考えても、
中高一貫ではやはり受験をメインに考えざるを得ず、
学力や思考力の充実を狙うなら、
小中一貫が適しているのではと私も思う。

しかも、私の住む地区は。

「小さいから光る・・・」を狙うなら、
前例や、周りがやっているかどうかではない。
そこに「本質があるかどうか」で考えるべきだ。

学校が少ないこの地域なら、
幼稚園からの一貫教育は導入しやすいはずだし、
一貫性を確保する内容的・人的管理もしやすいはずなんだ。
後は、体制構築と哲学を持った人物の管理だけが問題なんだ。

教育は、最終的には、やはり人だから。

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学会投稿の査読結果が帰ってきた。

ダブルA。
正直予想外だ。望外と言って良いかもしれない。

しかし、評価を読むと、やはりそれなりに注文はついている。
しかも、あれにもこれにも触れろという追加注文。

正直、それは無理。
だって字数制限あるんだもの。
今だって50字以上超えているんだよな-。

ま、お二人とも、さらなる研究で・・・と言うことでも、
期待されているようなので、
次稿でも良いと言うことで行きたいところですが、
それはそれで、気が重い。

だって、勉強、嫌いなんだもん。

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家でTVを見ていたら・・・

どっかの記者さんが、なんかおもしろいこと無いですか?と電話をかけてきた。

別に最近は普通ですよ、と言うことで四方山話をしていたら、
ところで選挙に・・・
どうもそういう噂があるらしい。

何で、そんなことが気になるのだろう?
ま、談合か模様眺めで、
選挙のない状況を作り出せていたのなら、
無理のない話だとは思う。

そんなに気になるなら、出てやろうじゃないか。
でも、地縁血縁・・・・は、やだーし、
運動なんて柄じゃないもんね-。と返事したのですが、
そんな普通の人が出て、地域の生活をより良い方向に変えうるアーキテクチャーを作れるのならば、アーキテクチャー論者の私としては、おもしろいとも思える。

私だったら、やりたいことは二つ。

一つは、地域の人材教育・交流の促進が図れるような構造を作ることと、二つ目は議会と住民の関係性の再構築だな。

この二つができれば、
長期的にこの地域は、いやどの地域でもそうだろうが、
特にここならいけると思う。
何せ、財政的に豊かな、人口の少ないところだから。

1番目の方は、教育行政の見直しや地域のボランティア組織の効率的な運用をその内容にするだろうし、二番目の方は、有能な人材を確保すると同時に、その方々がより多くの刺激を得、正確な現状認識の下に政策決定できるように、人数を大胆に減らして高給にして地域べったりできちんと活動できるような仕組みにするか、もしくは現状の給与のままならば、仕事の合間に活動できるように、夜とか週末の議会開催の可能性を探るだろう。

ま、二番目の件に関しては、確か法律上は地方の議会なんていらないはずだから、大胆にそういうのもありかとも思う。

私の狙うことは、考えてみれば、そんなに突飛なことではないはずだ。
長期的には、優秀な人材の供給地になりましょうと言うことだし、その時々に、今いる人の智慧や行動や能力を生かす構造を作り出そうと言うことなんだから。

いずれにせよ、地方議会は、深刻な人材難だと思う。
中身のない権威や、
哲学の無い自分勝手な歴史に酔っている人が多いのではないだろうか。
もっとも最近は、国会もそうらしいが。。。

他方、金ではない!
と言っても、現実の生活がある以上、
本当に低給では、そこそこ高給を取っている人が、
それを擲ってまで、、、と言うのは難しいと思うよね。
人心の離間によっては、生活も安定しないし。

難しい判断をさらに難しくする制度は、やはりおかしい。
だから「合理的」な「アーキテクチャー」にすべきなんだよ。

しかし、何が「合理的」かとか、
有向な「アーキテクチャー」が何なのかは、
最初は限られた人にしか理解できないだろう。
それが、問題なんだよね。

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最近のおはまり

ここ数日、久々に韓国ドラマにはまっています。
何かというと「海神」。

奴隷から剣闘士として這い上がり、やがて海商として本国の危機を救うというような話らしい。らしいというのは、まだ半分くらいまでしか来ていないから。

それなりに楽しく見ていますが、私としてはこの作品、某サイトで韓国歴史ドラマの最高の傑作という推薦で見始めましたが、広がりにおいて「チャングム」に劣り、深さにおいて「四神記」に劣るという感想です。

食から東洋医学に関する関心を引き起こす前者は、立身出世物語とラブロマンスという海神二も共通するテーマに加えて、さらなる韓国文化に対する興味を広げますし、映像の作りの美しさや、一つ一つの台詞の深さという点では四神記の方が心に響きます。

しかしすべてにおいて共通するのは、男は男らしく、女は女らしくと言う「らしさ」の追求があることと、日本のドラマなら恥ずかしくて言わないような「正しさ」の追求のようなものが流れていることでしょうか。

私なんかは、だから見ていて、
何らかの「解消」を味わっているのかも知れません。

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自分のメールアドレスで変なメールが来た

前からあったことですが、
最近自分のメールアドレスで、
変なメールが発信されているようだ。

自分にも来るからわかることだが、
腹立たしいこと限りない。

現状無視するしかないのだが、それでもやっぱり腹は立つ。

誰の場合でもそうだろうが、
便利に使いこなしている人ほど、被害は大きいし、
私のように、
それ程使いこなしていない、
つまりは、ネットの現状に詳しくない人とも
やりとりすることが多い人には、
人知れぬ誤解をまき散らす結果になっているのだろう。

私の場合、絶対にHTMLメールは送信しないのだが、
クリックするといかがわしい画像系だったり、
それ系の薬物を案内したりするものが送られているようだ。

繰り返しますが、
私の場合、text 以外のメール送信は原則しませんし、
添付ファイルのある場合も、内容とその旨を本文に記載します。

私のメールアドレスを
それ系の所に流したりしそうな人も心当たりがありますが、
おまえ、それ犯罪もしくは損害賠償請求だぞ。

将来的には、そういう人も、
そういうデータを利用して、迷惑メールの送信する奴らも、
もっと厳罰にすべきだな。

少なくとも、民法上の損害賠償は、
私の場合は、かなり高額に請求できそうだということで、
ひとまず溜飲を下げておくことにしましょう。

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2009年、最初の句読点

昨年は、11月に行われた学会に向けて、結構心理的にも追い込まれ、肉体的にも初めて経験する苦痛を味わったことは先日書きましたが、その発表は、今年の学会誌に掲載されるためには、原稿にして提出し、複数の査読者の評価を得て、掲載可能かどうかが決まるという手順になっていました。

実は、これが結構、難しい。
哲学系というのは、おそらく普通の人が見れば、難癖のつけあいみたいなところがあるわけで、どんなにまともなことを言っても、判らない人からは、相当な非難を受けたりもしますし、逆に、飛んでもトンデモみたいなことを言っても、
「権威」がそれを正当化したりすることもあるわけです。

だから、発表で躓き原稿提出に至らない人もいれば、提出した原稿に注文がつき・・・思考の闇に入り込まざるを得なくなり・・・もしくは、注文を手直ししつつ・・・

私の場合、発表は思いの外にうまく行きすぎた観があるので、
何らかの形で原稿提出後に注文がつくと予想していました。

特に今年の学会は、何とかシンポウジウムと言うのが多く、発表者も多かったので、
原稿掲載はそれだけでも競争であり、
最終的に入れるかどうかすら怪しいものだと。
自分でも自信が無くてどうするとは、思いつつ。

で、その結果がわかったようで。

今年の私の登場には、トップガンのテーマが流れます。
(いささか、古い観がありますが。。。)

まずは今年の句読点。最高の出だしとなりました。

しかし、評価が高いと、その後も辛いですね。

時間をやりくりしつつ、
それなりの水準を維持しないといけません。
頑張ろう。。。

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2009年のご挨拶

を、まだしておりませんでした。
まだ松の内でしょうか?

明けまして、おめでとうございます!

一昨日まで、帰省しておりました。
入院中の母を見舞い、
おそらくは看護疲れの兄を気遣いつつの帰省でしたが、
私自身もふるさとの良さを、十分に味わっての帰省でした。

ひんがしにたばシネの桜が競い、
西に須川岳の雄峰そびえ、
真ん中を北上川がとうとうと流れるふるさとは、
今日も、こんまい人のわるあがきなど、
ほほえみつつ見守っておりました。

ふるさとは、ありがたし!

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2008年もう一つのまる

2008年、もう一つの私の句読点は、やはり署名問題につきる。

学習センターの問題とか、
(そうそう、その内装に地元材を使うとか、
 ホールの中から地元の景色が見えるとか他にも様々に、
 うちの宴会からの「われわれの」アイデアだぞ!と、言えるものは
 他にも多いんだぞ!と、ここに明記。)
PTAの事とか、他にもあるけれど、
「政治家」も一人の人間、と言うか、
視野の限られた人たちでも、勤められているんだと言うことを
実感した出来事がありました。

それは、「道路拡幅署名問題」です。
この一件では、今までどういう人なんだろうと思っていた人が、
結構、開明的で合理的な思考の持ち主だと言うことが判ったり、
逆に、今まで割と親しく話していた人たちが、守旧派というか、
権威主義者というか、文句ばっかりの人たちだと言うことが
判ったりしました。

考え方から結論まで一緒じゃないと許せんと言う人は、
私は、かえって気持ちが悪い。
どっちかが違っていようと、それなりに合理的なら、
私は少なくとも理解でき、破綻していない人は、好きなのですが。
加えてその整合的で合理的なものが、全く私の考えていないものなんてのは、
もう酒飲んで話しましょ!という感じですけど。。。
不合理で、ご都合主義で、権威だけを振り回すような輩と、
仲間でございなんて、カタクムようなことは、今後ともしないつもりだ。

他方で、政治はやはり力であり、力とは数であると言うことを実感したのも、
この問題でした。
2929
何とも微笑ましい、私らしい数ではありませんか。
(いつも食わしてもらえないからだ。)
もちろん皆様の協力の結果がこの数値ですが、
私は、
「合理的な根拠をあげ、合理的な方法を採り、
合理的な結果を目指そう」
と言うことを支持する人の数がこれだけいる!とこれを読みたいですね。

「愚民政治」「集ぐう政治」なんて言う言葉があるけど、
選ぶ方も選ばれる方も、相互関係性は否定できず、
高めあうこともできれば、低めあうなんて事もできるもんだと言うことも
少しは考えねばならないでしょうね。

大学の先生と生徒も同じですね。
「うちの生徒は・・・だから。」      聞き飽きた。
だからおまえも、学会発表もしたことないし、
論文の一つも書かないで良いってワケ?
尻滅裂で(いかんこれはおれだ!)週刊誌で読んだようなことを
偉そうに権威ぶって話して良いわけ?(あ、これも)
急に偏差値高い学生がきたら、おまえらも変わるわけですか?

地縁・血縁選挙でなかったら、
本当にやっていることや考えていることが伝わる選挙だったら、
あんたら選ばれますか?

どちらも、変われるやつから、変わりましょう。

I can change. You can change. We have to change!
(年始年末にふさわしい、酔い・良いオワリで?)

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2008年のまる

では、昨年度の句読点を付けるとすることに、しましょうか。

本当に個人的には、やはり学会で終始した昨年でした。
夏の梗概作成の時期になってもまだ全体像が決まらず、
何回かの事前発表の時にまで肝の据わらない話をして、
師匠などには随分と心配をかけたものと思われます。

だいたい発表用原稿とそのレジュメ完成が、前日だからね。

元ネタの一つが膨大な量の資料だったために、
随分と時間がとられました。
だいたいの概要つかみの一読は夏で終えたのですが、
その結果得られたこと以上のことは、
どこにも書いていないんだ、ということを確認する作業というのは、
疲れると同時に、非常に辛いものでした。

内容は、最近もてはやされているあちらの国の人の議論が、
伝統的な「実践哲学」上の議論では、
あまり新味のないものである。 しかし、
その文脈上評価できることがあるとすれば、
それは、新たな統制要素を、「構造」という概念で括ったこと
くらいという事を指摘したものでした。

その結果、最近あんまりかっこよくないことのように思われている
「理念」とか「理想」とか何とか言うものを
ちゃんと語り合わないといけないよ、なんて指摘したつもりです。
(特に、はやりの思想家で終わって欲しくないと期待する
 「官学」の学者の皆さんには。)

まあ、だいたいが原語をよく考えれば、「構造」なんだから
大工さんが基本構造をいじくる話と考えれば、
新味はないわけです。

ただ問題は、
誰が、いつ、その基本構造を「認識」し、
どのように、効率よくコントロールに使うのか。
その先に何をするのかとか。

と言うことなんだ、ということなんです。
実践法哲学の社会統制論上の問題。
一言で言うと、そういうことでしょう。

しかしこの発表後に原稿化が控え、
それをなんとか提出した果てには
墓地の土地所有権に関する報告書をあげ、、、

と、そこまでで、倒れました。
あまりの座り続けに、尾てい骨まわりが化膿し、激痛が伴うと共に、
熱を放ち、ついに。。。(けして痔ではありませんぞ。念のため)

あ、2008年には、もう一つの○もありました。
それは別稿にいたしましょう。

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