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高橋源一郎の言葉

朝日新聞2011年6月30日の論壇時評の
高橋源一郎の文章に気になる言葉があった。

引用すると
「僕たち一人では『見えない』ものも、専門家は見せてくれることができる。だが、専門家が見つけたものには、それを『見よう』という強い意思を持つ、僕たちのような素人が必要なのだ。」

ここには、このところ考えていた、
専門家の責任と普通の市民に関する一つの答えがあると思う。

普通の素人は、まず何かしら専門的な知見を持つものの見解を
或いは、自分よりも優れていると思うものの見解を
謙虚に見ることが、そして何よりも、
見ようとする意思を持つことが大切だと言うことだ。

私の場合は、自身が「法哲学徒」であり/自称しており、
その意味では、規範現象の専門家と言うべきであろう。
(だから、規範現象に関しては、謙虚に学問し、
 素人に対しては、責任ある知見を述べる責任を負う。)
しかし、
それ以外の分野に関しては素人であり、
より謙虚に学習し、学問することが必要となると言うこと。

そして、こういう構造は、誰にしてもあることであり、
グラデーションの違いこそあれ、誰にしも当てはまることだろう。

誰もが「素人」の可能性は否定できず、
その意味で、見解の違う意見には、
「謙虚」であらねばならないと言うことになるのでしょう。

だが、これが難しいところで。。。

日常生活の細々したことは、常に決定を待っているし、
常に結果が出てくることなので。。。

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