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司法試験の合格者発表を受けて

昨日いわゆる新司法試験の最終合格者が発表された。

本日付の新聞各紙の報道によれば、
過去の実績を基に、
実績の低い法科大学院への文科省の補助金も減額されるとのこと。

私のメインお仕事をしている大学に付属する法科大学院もそれに含まれており、早晩閉鎖なり縮小なり、統合なりの再検討を余儀なくされることだろう。
だとすれば、
当然ながら学部に付属し、法科大学院への進学をメインの一つに据えている私の担当する部署も、その内容の再検討が必要になるに違いない。
学部のアイデンティティーとして法曹を目指すのか、そのために法科大学院進学を据え続けるのか、止めるか、他進学・希望との両立や選択肢の一つとしてのバランスをどの程度に考えて行くのか。

進学塾・予備校講師として、あるいは資格試験や公務員採用試験対策予備校にも関わった私の経験からすれば、おおざっぱに言ってしまえば、
「頭の良い子は、放って置いても合格する」
「頭の悪い子は、手をかけ時間をかけねばならない」
その間に、
また様々に不確定要素が関わるのだが、
「頭の良い子」が「勤勉さ」と結果としての「理解力」に繋がり
最終結果としての「偏差値」なり「高得点」なり「合格」に繋がっているとすれば、
もはや偏差値で輪切りされ序列化されつつある
大学入試と法科大学院入試を考えれば、
有名大学の就職率が良かったり、
有名法科大学院の合格率が高いのは当たり前。

逆に、底辺大学や、底辺法科大学院の合格指導に
時間と手間がかかるのも当たり前と言うことになる。

しかし同時に、
この「頭の良さ・悪さ」や「偏差値の高低」は、
まさに学習に対する勤勉さと、学習作法・やり方に関わっているとも考える。
だから、
たとえ二流大学であろうと、底辺大学であろうと、
その手ほどきによって、
思わぬ学生の能力の伸びを目にする魅力やカタルシスが、
「喜び」があるのだ。

個々人の基本的な能力やその深度に違いがあることはもちろんであり、
それに対応する学習の作法や仕方も、その指導の仕方も千差万別なのが実感だが、適切な学習の仕方や作法が身につき、勉学に対する勤勉さが身についた学生を見ることは、そして結果としてのそれぞれの目標達成の姿を見ることは、教育者としての代えがたい魅力だ。

勉強のべの字も考えず、スポーツや部活に明け暮れ、
何かの縁で私達と出会い、無理矢理本を読まされ、書いたものには赤字を入れられ、受けたくもない試験を受験させられ、少しずつ自分の目標を見つけ、努力していく学生を、その端緒において関わることができるのは、難しいと実感しながらも、本当に楽しいことだと思う。
(法的帰結も推論過程も、ガリガリやり合う必要も無いしね。)

昨晩、長い年月をかけ、権限も限られた状況で積み上げ改良してきた私の部署の講座を、全て受講し、(私たちはその事でたたかれもしたのだが)別の法科大学院に進学していた学生から、合格の知らせが届いた。

もちろん朗報だけが全てではないだろう。
彼と同様に受験し続けている学生がいることも、また今年が初めての受験になる学生がいることも記憶している。(連絡が無いことは当然として。)
公務員試験が思うような結果にならない学生からの相談もあった。

上がったり、下がったり。

自分の子どもでもないのに、結果に一喜一憂するのは、研究者としてはばかげたことなのかも知れないけれど、
教育者としては、致し方ないと思うし、まさにそれが魅力なのだろう。

自分がそうであるように、
「先生」なんて、卒業してしまえば、さっぱりと忘れてしまう存在なんだけどね。

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