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憲法記念日に私も一言

憲法記念日に私も一言。

護憲/改憲、かまびすしい昨今、今一度考えて欲しいこととして、
講義の時に、たいていの学生さんたちにも話すことを一席。

大学院生として講義を受講していた、
ある憲法大家の大先生からのお話しです。

あの終戦の日に、先生は
所用を終えて、いつものように御茶ノ水駅から大学への研究室に向う途上、駅頭で玉音放送に遭遇したそうです。

雑音の多い上に、途切れ途切れでよく判らない
その放送を聞き終わったあとの

「見上げた時の、空の蒼さと、
 一面の焼け野原の向こうに広がる海の碧さを、
 私は生涯、忘れることができない。」 と仰っていました。

そして、大学からの帰り道に、
すでに道々に広がる、灯火管制を逃れた家々の灯りと、
透かし見える団らんの姿、そして、漏れ聞こえる家族の声に、
人生の大半を戦火に過ごすことの異常さを
改めて実感したとおっしゃっていました。

戦後、新憲法の制定に参加したその先生は、
この憲法が、日本の戦前から続く民主主義的学問の集積に加え、
本国のアメリカでさえ成し得なかった「理想」を加味したものであ​ること、
そして、
多くの国民が、長く体験した戦火のリアルな反省の上に成ったもの​であって、
少なくとも当時の多くの日本国民の支持を得たものであることを、
君たちは忘れてはならないと力説されていました。

若造のくせに、法哲やるなどとはけしからんとも説教された、
勉強嫌いの私でしたが、
今でも、強く印象に残ったお話しでした。

その後の改憲に対する姿勢の時流の変化を省みてみると、
今だからこそ、強く思い出すべきエピソードなのかも知れません。

憲法が、聖書や聖典でないことは確かな話。

法律が、時代の流れに沿わねばならないような、
時代に画された不完全なものであることも、また確かな話。

しかし、
もはや名も知れぬ人々の、不断の歴史的集積の結果獲得され、
無駄も多い教育の結果、
幾世代かに共有され、
「つまらぬもの」と、なりはてたかも知れぬその中に、
積み重ねるべきものと同様に、また、
失ってはならぬものも、またあることを、

我々は、「自律自成」する一人の人間として、よく考えねばなりま​せん。

同時に勢いだけで決める政治は、
歴史から何を学んだものかを、
改めて、よく考えねばなりません。

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