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カントの奴隷制

あの有名なカントが奴隷制を容認していると言われて、
現代のどれだけの人が納得するだろう。
もちろん私も納得しない方の一人だった。

しかしながら、様々な人付き合いの上で、侍的な人と百姓的な人がいるよな~とは、日々感じてはいた。

この場合、
「侍的」な人とは自己の発言に責任を持ち、自省的自制的に自分を向上させることができるような人であり、
「百姓的」とは視野が狭く、目の前の自分の利益には貪欲で、反省も無く従って向上心のない人。

実はカントの奴隷制容認も、要するにそう言うことなんだろうと思う。

しかしながらカントの「自由」はほんとに厳しい。
自らの感性や欲望からも自立していないといけない。

「自律」する事のできる自由な市民
  対 「他律」に従うことに疑いすら持たない奴隷。

さすが一流の哲学者だけあって、
人や社会をよく見ているものだなーとも感心する。

要するにそう言う奴隷は、現代にもいるって事だ。

人間の有り様を深く観察すれば、
奴隷制は、現代ですらその存在することを認めねばならないもの
という事なんだろう。

もっともどうしたら「奴隷」を打破できるかは、
よく考えねばならないけど。

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