« 明けまして、・・・ | トップページ | 日々雑感 というどうでもいい事 »

内省的・悲観的な自分を変えねばならない

リアル・ササハラをその外見から知る人は、その体型から大胆な剛毅な人間だと思うらしい。
会話や文章のやりとりをする人は、その調子の良さや展開から頭の回転の速い人と思うらしい。
しかし、本当のリアル・ササハラはけっこう臆病だったり、頑固だったり、皮肉屋だったり、悲観主義的だったりする。

今日も最近研究会の案内が来ていたことを思い出し、自分のかつて書いた論文に関係ある研究発表予定を見つけ、図書館で発表者の関係論文をコピーなんかして読んでみて、あれやこれや考え込んだりした。
「もうあれから4年もたつのに、案外内容が進んでいるわけではないんだな。」
「俺の言ってることって、そんなに足りないのかな。」
「でも、これって、やっっぱり、足りないんじゃないの。」
「結局、東大、京大系の論文しか読まれないのかな。」
なんてね。
自分のやっていることの影響力の小ささに、翻れば評価のなさに、落ち込んでいったりもするわけです。

省みれば、実践活動も同じ。

けっこう頑張っているつもりでも、あれもできない、これも足りないなどと胃が痛くなったり、住民の方々の前でもコソコソしたりして。

しかし、夕方一本の電話。
FBがあったからこそのつきあいだけれど、考えればそこからいろんな繋がりや影響も出てきていることに気づく。
「合宿やろうよ!」

帰宅の途上、あれやこれや自分がこの自治体をどこまで把握しているか、彼らの活動から生じるであろう質問を予想して自問自答する。
当然に、知識と人間関係の希薄さにも気づくわけで、さらに「できんのかよ?」などと、内省してしまう。

風呂入って考えたんだけど、自らの論文の指摘は、できない学生相手だと思えばいいわけで、所詮一本の論考で指摘したことなど、学会の大御所でもあるまいに、すぐに世間に広まるはずがあろうもない。
焼き直しだと言われようが、それが俺の指摘だと浸透するまでは、何度でも手を変え品を変えで、書けば良いだけの話。
下らんことを縦横論文やございます論文で数を稼ぐよりは、その方が世の中のためってもんだ。

実践活動も同じ。できないことは、人の手を借りること。参加の意識が人のやる気を生んでいく。
何でもできます!なんてことはやめて、強みをはそれで生かし、人の手を借り生かすことも、地域の活性化ではないでか。

両方ともそれでだめだという評価なら、それはそれで良しとすべきこと。
それならそれで、そこから始めよう。

あれもやろう、これもやろう! できないことは、人を巻き込もう!
まだまだ、丸くなったり、老成する歳ではないんだな。

合宿やるぞ!
研究会も行くぞ!

人生どっちに転がるかは、天のみぞ知るだ。

|
|

« 明けまして、・・・ | トップページ | 日々雑感 というどうでもいい事 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/530234/56562300

この記事へのトラックバック一覧です: 内省的・悲観的な自分を変えねばならない:

« 明けまして、・・・ | トップページ | 日々雑感 というどうでもいい事 »