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2013年11月

私が今いる場所にいる理由

やっとこさ、先ほど夜の講義が終了した。

ベランダに出てみると、綺麗な月夜に
グランドからは若人のボールを呼ぶ声、パスを求める声がこだましてくる。
朝からの断続的に続く講義。研究室に訪れる学生。
ありふれた大学の日常がそこにはある。
この大学の「この学部」には、あまりないんだけど。

思えば、春には本を読んでも法律用語が正しく読めず、
まして内容さえ正確に読み取れない学生が、
一人、二人と、正確で判りやすいノートをまとめ、
物知り顔で判例を解説し、実例を挙げ、
質問にさえ答えられるようになっている。

試験に合格しないんなら「法曹なんて無理ムリ」なんて「上から目線」の先生に、
「合格できました!」なんて嬉しそうにわざわざのご報告まである。

場所がグラウンドと教室の中との違いとは言え、
限界に挑み壁を乗り越える瞬間に立ち会える楽しさがここにはある。
けして私一人の力でもなく、
本人達のたゆまぬ努力と研鑽のせいだとは言え、
教員冥利を感じる一瞬だ。

これが私の「教員」を辞められない理由。

他方、わけのわからぬ論文の点と点とが一瞬にして結び付いたり、
混沌や厚い霧に阻まれたような現実や理論が、
切り裂くように明快に見える瞬間が、「学問」というものにはある。

直接的に、短期的に、人々の実生活には何ら無用の長物たる「法哲学」的世界に遊ぶ楽しさは、実はそこに、
そして、その難解さのハードルの高さにこそあると思う。

これがさして経済的にも、世間的にも、
もたらしているものの少ない「学問的世界」を続ける理由。

一方で、実践的世界の楽しさには、まだ浸る事が少ない。

「合理性」や「効用の最大化」やら「公益」重視やらであれば、
理想的世界のあり方は、
実は選択肢がそれほど多様にあるわけでは無いと私には思える。

しかし、合理性ばかりでは動かず、
公益すら私的利益と有象無象に乱れる関係が現実世界。

混沌を雲散霧消させるものが、「知性」や「理性」ばかりでないのが、モドカシイ。

まして、「鼓腹撃壌」とばかりでは、賢い有権者に支えられでもしない限り、
選挙に勝てるわけでもなく、
多数派形成すらもままならない。

なだめ、すかして、腹芸で。
そう言うことが楽しくなるうちに、
本来の合理性や効用やら公益の最大化さえ忘れてしまわぬかと心配でもある。

しかし、地域の将来や子供たちへの遺産か負債か、その将来を考えれば、
木鐸は、またそれで意味のあること。
また判らぬ人ばかりでもないだろう。

それが私の今いる理由。

もうちょっと、どっちも、どこも、頑張ろう。。。

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