2014年10月31日 (金)

SNSの使い方実感

ウェブページが立ち上がり始めた世界から、ブログの流行へ、
さらにはLineやらFacebookの世界へと、インターネット世界の変化を目の当たりにしてきた僕らの世代にあって、
そこがどういう世界であるのかは、まさにそれで一つの関心事だった。

自由な知の享有を叫ぶものがいれば、
馬鹿が声を大にする世界という者もいた。

私と言えば、前者に共感しつつ、情報漏洩やネット犯罪の横行を見れば適切な管理も必要だろうと、どっちつかずだった感。

しかし、家庭内で妻や子どもまでがネットに繋がり、Facebookストーカーから殺人事件までが起こる現代、その有り様はまさにその「人間の業」やら「知的なあり方」を示すようなものに見えてきた。

現実世界を程よく逃避し、趣味や関心を共有し、さらに現実世界を広げるものいれば、
友人つながりやその言い分を適切に管理できず、現実の仕事や人間関係を壊していく者もいる。

要は程々の適正な管理の問題なのだろうが、何とかのマスターべーション状態で止まらぬ中毒患者が問題なのだ。

この点に関しては当初からの私の主張は、ネット環境内で何が起ころうと、それは「現実世界」の問題ではなく、「情報を読み解く」その「人間の知的レベル」の問題だというもの。
特に匿名性の確保できた昔の話しならば、それがもっともだと考えていたものだ。

何が面白かろうが、どう論じようが、自由に任せればいいだろう。
「いいね!」を単に「見たよ!」と解釈しようが、自分への人気や支持と見ようが、そんなものは解釈者に委ねておけばいい。

しかし、現実世界にもそれが及び、何らかの弊害や被害が生じているとなれば、それはもはや法的処理も必要なこととなる。

匿名性の薄れた現代では、
もちろんそれは本人自身だけの話では済まなくなってしまうだろう。

共犯、教唆、幇助、扇動。
責任を自覚もせず、とれも出来ない言動が、
実はSNSの世界には、あふれているようだ。

直接的なネット犯罪や情報漏洩、権利侵害など以外にも、視野に入れるべき課題はあるものだな・・・もはやネットコミュニケーションすら、従来型の法的権力の及ぶべき空間かと。

やっかいなことに、今行っているコミュニケーションが「閉じた空間」という思い込みも使用者にはあるようだ。

そこで行っている一定のコミュニケーションには、自分の配信した人がいるのにもかかわらず、そこに書き込んでこない人間は、それを無意識に外へ置くか、あるいは自分の支持者に入れてしまうかのどちらかだ。

「ROM=読んで放置」の人間が、よもや「常識ある批判者」だとは思ってもいない。

かくして書き込み共犯の関係者は、さらに思い込みを強化し、共有して行く。

それは友人関係から家族や夫婦のあり方、原発問題から政治の話題まで、
あらゆるレベルで起こるから、さらに話しはややこしい。

戻ってくるのは結局、個人の知的な判断力の問題。

他者からの批判をどう扱えるかの、本人の知的レベルの問題。

声なき声をどう予測できるのかの想像力やら復元力の問題。

そして、他者のあり方や自分の周囲との関係性から何を学び、
実りあるべき方向の、あるいは向上心に導かれるべき将来へどう生かすか
自ら反省し、自律する能力

しかしそれは、実はネットの中だけでなく、現実の世界でこそ必要とされる能力だ。

忙しくて、こちらのブログは放置状態だったが、
最近、そんな事も考えていた。

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2014年3月29日 (土)

おじさんも、負けられね~!

右から左に肩掛けのエナメルバック。
左から右へは、大っきな大っきなクーラーボックス。
急な上り坂をエッチラおっちらこぐ、あの小っちゃなお尻は、
息子の後輩、新高校二年生のA君だ。

真っ赤な顔で、今日の春の高校硬式野球の地区予選大会会場に向かっているらしい。

小学生の頃からだいぶ伸びたとは言え、
テレビに映る甲子園球場の高校生に比べれば、体力の非力は否めない。

思わず車を止め、座席を上げて声かけた。
「乗ってけ~!途中までなら、行くから~!」

もちろん返事は、「だいじょ~うぶ、っで~っす!」

高校生から大学生くらいの若い男の子は、無理して、
かっこつけて、やせ我慢も笑顔でできるくらいじゃないと、
かっこいい大人になんか、なれっこない。

そう承知する頑固おやじも、

「じゃ~、頑張ってけ~!今日は、試合に出られんのか~?!」

「きょうは、たぶん、むりっで~す!でも、がんばりま~っす!」

「うっしゃ~!勝ってこいよ~!!」

テレビでは、体力と勝ち進む僥倖と、指導者の力と
親の財力なんかにも恵まれたのであろう、ムチムチの子どもたちが
白球に青春をかけて闘っている。

それも素晴らしい。

今、各地で繰り広げられている春の地区予選では、
地区予選なんてコールド勝ちで当たり前、
本題は県大会レベル、
なんて常連・常勝校がひしめいて、これまた頑張っている。

しかし全く逆の、
そんな日の目の当たらないところでも、
たった一つの白球に思いを込め、楽しみを見出し、
汗を流している青年達がいる。

もちろん、勝利を信じ、目指して。
まして、一つの試合のレギュラーでさえも目標にして。

なんか清々しくて、まぶたの濡れた、朝の通勤時間でした。

(地区予選の結果はここから。
  http://www21.ocn.ne.jp/~khbf/)

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2014年2月15日 (土)

類型的な考え方

類型的なものの考え方
=人だろうがなんだろうが、レッテル貼って単純化し、
 中身など吟味しないで割り切るようなやり方

で生きている人は、多いようだ。
否 かくいう自分ですら、奥様の言うことなど耳も貸さないで怒られることも、
しばしばなのだが。。。

先日もある議員さんからご指摘。
「笹原さん、共産党? Facebookのいいね!の記事、赤旗や東京新聞じゃん!」
かと思えば、
「あんた民主党だろ。だから保守系議員の会合には呼ばん!」
と言うのもあれば、
「え~!笹原さん、自民系なんでしょ!?だからこの問題反対だろうって・・・」
って言うのまで。

あのねえ、私自分の思想傾向は、Conservative liberal ではないかと思っておりますが、今のところ、どっかの党派には属してはおりません。
なぜなら、
まっとうな批判的・建設的議論を許すような土壌がない所が多いから。
特に地方組織は、確実に。

党が、あるいは上が=有力者が右と言えば右、
左と言えば左を向いてしまう輩の、なんと多いことか!

しかしそれで別に政治家や政治屋さん、あるいは地方の政治好きの方々が、アフォだとか単細胞だとか言うつもりも、ありませぬ。

思想史を紐解けば、
「学派」「党派」を形成し、飯の種、学閥形成するのは、
枚挙に暇が無いほどでもあるので。

ただ自覚するは、
自らの頭で、謙虚に認識し、
時間的・空間的 両にらみながらの広い視点と視野で、
公平無私に
粘り強く考えること。
だからこそ、
批判的視点を持つ者に対してこそ、粘り強く対話し続けること。

地道に、延々と自覚し、実行するのみ。

もっとも、学問の道ですら、なかなかに、難しいんですけどね。

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2014年1月27日 (月)

怪我して気づくこと

正月2日から、膝の故障
正確には「頸骨高原骨折」とやらで、松葉杖生活をしています。

公式行事にはなるべく出ようとは思っておりますが、
それでもバリアフリーの遅れているところは多く、
特に階段の下りを伴うような場所への出席は、
極力避けざるを得ません。

そんな生活でやはり気づくのは、
階段の多さとともに、
バリフリとやらで付いている傾斜の使い勝手の悪さ。

あれ、それほど便利なものではありません。

それとともに、妻のありがたさ。
愚息の登校に合わせ、
しかも必要上も大食いにならざるを得ない大容量弁当+おにぎり・補食を用意すべく、朝の5時前には起き出して、引き続き子どもたちに朝食を用意し、登校させ、
そして私の出勤のための車の運転手業務を毎日こなしております。

帰りは帰りで講義があれば、遅くなる私のお迎えに、普段分担していた子どもの塾や、練習で遅くなりバスに間に合わない場合の愚息の迎えまで加わります。

最後の甲子園をかけてここが正念場の愚息は、最終バスで帰ることも多いので、帰りは11時をまわり、帰宅後に夕食を取り終わるのが12時を過ぎることもしばしば。

いかに丈夫なだけが取り柄の妻とは言え、
これではあまりに酷な気もしています。
もっとも、古い気質の私は口に出して感謝なぞしませんが。

もっとも都内に講義に行くときなどは、
前後合わせて五六時間は二人っきりで過ごすことに。

妻の運転の車に乗るのは、精神的には疲れることこの上ないものですが、久々にこんなに長い時間を話したねなどと、二人とも確認の笑い合い。

子育てを離れれば、否が応でもの時間なのでしょうが、
怪我での身体的苦労ともども、老後の訓練にもなったのかも。

などとバカなことを考えつつ、
今年も春を迎えようとしています。

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2014年1月 4日 (土)

2014年の年は明けて。

明けまして、おめでとうございます。

年明け早々から厄が来たものか、
お子ちゃま言い訳の小さな正義感からか、
あるいは単なる年寄りの冷や水か、
人生初の骨折。
初ギブス生活。
初松葉杖生活。

これが冬だから良いものの、
シャワーや風呂にも、
おまけにトイレに行くにも、不便を余儀なくされております。

私の長いおみ足は、普段なら自慢の種ならずと言えど、
まがらねえんじゃ、トイレのドアも閉まらねえ。

と言うことで、
明けまして、お目出度うございますとのご挨拶とさせて頂きます。

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2013年11月28日 (木)

私が今いる場所にいる理由

やっとこさ、先ほど夜の講義が終了した。

ベランダに出てみると、綺麗な月夜に
グランドからは若人のボールを呼ぶ声、パスを求める声がこだましてくる。
朝からの断続的に続く講義。研究室に訪れる学生。
ありふれた大学の日常がそこにはある。
この大学の「この学部」には、あまりないんだけど。

思えば、春には本を読んでも法律用語が正しく読めず、
まして内容さえ正確に読み取れない学生が、
一人、二人と、正確で判りやすいノートをまとめ、
物知り顔で判例を解説し、実例を挙げ、
質問にさえ答えられるようになっている。

試験に合格しないんなら「法曹なんて無理ムリ」なんて「上から目線」の先生に、
「合格できました!」なんて嬉しそうにわざわざのご報告まである。

場所がグラウンドと教室の中との違いとは言え、
限界に挑み壁を乗り越える瞬間に立ち会える楽しさがここにはある。
けして私一人の力でもなく、
本人達のたゆまぬ努力と研鑽のせいだとは言え、
教員冥利を感じる一瞬だ。

これが私の「教員」を辞められない理由。

他方、わけのわからぬ論文の点と点とが一瞬にして結び付いたり、
混沌や厚い霧に阻まれたような現実や理論が、
切り裂くように明快に見える瞬間が、「学問」というものにはある。

直接的に、短期的に、人々の実生活には何ら無用の長物たる「法哲学」的世界に遊ぶ楽しさは、実はそこに、
そして、その難解さのハードルの高さにこそあると思う。

これがさして経済的にも、世間的にも、
もたらしているものの少ない「学問的世界」を続ける理由。

一方で、実践的世界の楽しさには、まだ浸る事が少ない。

「合理性」や「効用の最大化」やら「公益」重視やらであれば、
理想的世界のあり方は、
実は選択肢がそれほど多様にあるわけでは無いと私には思える。

しかし、合理性ばかりでは動かず、
公益すら私的利益と有象無象に乱れる関係が現実世界。

混沌を雲散霧消させるものが、「知性」や「理性」ばかりでないのが、モドカシイ。

まして、「鼓腹撃壌」とばかりでは、賢い有権者に支えられでもしない限り、
選挙に勝てるわけでもなく、
多数派形成すらもままならない。

なだめ、すかして、腹芸で。
そう言うことが楽しくなるうちに、
本来の合理性や効用やら公益の最大化さえ忘れてしまわぬかと心配でもある。

しかし、地域の将来や子供たちへの遺産か負債か、その将来を考えれば、
木鐸は、またそれで意味のあること。
また判らぬ人ばかりでもないだろう。

それが私の今いる理由。

もうちょっと、どっちも、どこも、頑張ろう。。。

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2013年10月17日 (木)

後期新担当科目が、思いの外面白くて・・・

この後期から、「法思想史」と「情報倫理」をそれぞれ別の大学で担当しています。

自らの専門領域が法哲学とは言え、あれやこれや負担の増えること、どうせ担当するなら現代的課題などと、今考えれば勝手な言い訳で気の重かった「法思想史」ですが、やってみればやはり「法哲学」専攻者、過去の思想家の法的な課題を今一度自らの頭で考える醍醐味は、やはり面白い!の一言に尽きます。

さらに「情報倫理」。こちらの方は現代的課題を自らの専門領域にも近づけて、しかもできるだけ問答方式でやれていることもあり、こっちも面白い。
時に話が続きすぎて、用意した分量が進まないほどです。

もっとも、どちらも学生さんまで面白く過ごせているかは疑問。
こっちもそこまで意識を回す余裕が無いのが、正直なところ。

頭の体操も、やっぱり日常的にやってないとね!

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2013年7月25日 (木)

自己反省 自省 自らを離れて自らを見ること

このブログ、しばらく放置状態でした。

日々の記録がFacebookに、ほぼ完全に移行しています。
実名登録ですので、やっかい、ウェブ利用なんてやっかいとお思いの方も多いのかも知れませんが、利用してみると、便利なことこの上なし。

時にブログと同じように、抑制の効かない書き込みもあることはありますが、そこは実名なので、そういう人か!と言う割り切りもできます。

私の使用実感では、ブログや個人ホームページよりも、信用性が高い感じ。
判んなきゃ、質問すればいいわけだし。

で、ここでの書き込みは、今後やはりFacebookに相応しくないような、多少長い書き込みになりそうです。

今回は、表題を一応「自省」としてみました。

自らもっとも肝に銘じていることですし、他方、私が嫌いな人間は、これがまったくできない人なんだなあと実感することも多いので。

自ら言うことが自らへも適用された場合、恥じることはないのか。

相手から言われたことを、オウム返しに「あなたも・・・」なんて言うことの、アフォらしさを恥じることはないのか。

常に状況悪化の原因を相手や自ら以外に求めて、自らの被害者意識に浸ることは、楽しいのか。

自省とは、まずは自分の変化への度量を見極めることかも知れません。

思い通りに、思い通りのことをしている人間なんて、誰もいないことも自覚すべきだね。

それらは私にすら、言えること。

口汚いののしりもやめましょう。甘えを下にした、開き直りもやめて欲しいものです。

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2013年4月 9日 (火)

実践活動の評価時期が迫り!

「選挙運動」と「政治活動」は、公職選挙法上明確に別れていたはず。

「選挙運動」は選挙公示前には禁止され、
「政治活動」なら許されたはず。

選挙に関し、「現職有利」は、こんな所からも生じている。
しかし、その境界は、非常に曖昧だ。

故に、選挙公示前の一週間ともあれば、活動報告の配布など、白黒つかない活動と、批判を受けるようなことになる。

だから、私も自粛した。
二・三日中にでも選挙に向けて、実践活動記録のブログは更新し、しばらくの期間は放置ておきますが、
この類の話しは、しばらくここでも厳禁ですね。

しかし、そんな事もお構い無いのが、わが【村の共産党】

アンケートやら実績報告とやら、ふだんやらない活動を
党名掲げておやりになる。

批判するつもりも、無し。
「あせり」の現れと、静観しよう。

有言実行が、私のやり方。

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2013年3月21日 (木)

小友中学校からの震災見舞いのお礼葉書に返信

二年前の震災の時、友人知人の皆さんにもお声かけをし、
私の友人が副校長を務める陸前高田市小友町の小友小学校へ
ささやかながら救援の物資を届けました。

下記は、
同居する小友中学校三年の生徒さんから頂いたお葉書の内容と、
今日、何とか中学校の閉校式に間に合わせようと書いた
私の返信の抜粋です。

ご協力頂いた皆さん一人一人にご報告できれば最善ですが、
これをもってご報告とさせて頂きます。
有り難うございました。

------------小友中学校の村上さんから

前略

震災からもうすぐ二年経ちます。

皆様のご支援のおかげで小友中にふたたび笑顔があふれるようになりました。

2011年3月11日。小友中学校と小友町は、大きな傷を負いました。でも今は日本中、そして世界中の方々の応援で明るさを取り戻し、私たちは毎日を楽しく過ごしています。

小友中学校は三月末に閉校することになりました。しかし、たくさんの方々からいただいた元気と「心」を忘れずに、最後まで誇りを持って小友中の歴史に幕を閉じたいと思っています。

この二年間の経験を未来に生かすために、私たちは一歩一歩前に進んでいきます。

皆様、本当にありがとうございました。

---------私の返信

家に帰ると、
見慣れないかわいらしい文字で書かれた葉書が置いてありました。
普段固い内容の書類ばかりを見慣れた目には、何だろうと不安な感じの葉書でした。

内容を読み進むうちに、あの陸前高田市の小友町の学校の生徒さんであることが判り、被災直後に何度か訪れたことも思い出しました。
あの時は、私も、私の友人たちもみな、何かをしなければとの思いで一杯だったのです。

しかしその後、それぞれが負う日常の仕事や細々とした事柄に追いまくられ、気になりながらも、あなたたちの所に伺うことはできずにいました。

あなたの葉書に、それでも笑顔あふれる日常の戻りつつあることを知り、救われました。

おそらくはたくさんの方々がボランティアや援助者として関わりを持ったはずの中で、一人一人に御礼の挨拶を出すことは、難しく、骨の折れることだろうと思います。
しかし、あなたのお葉書で、救われた気持ちになり、さらにまた東北の引き続く被害に対して、何らかの形で応援しようという気持ちを思い出したという人も多いはずです。

ありがとう。

さらにまた村上さんのお葉書は、私に昔の記憶も思い出させてくれました。
それは私の最初に入学した中学校も、すでに統廃合の中に消えてしまったと言うことです。

中学1年生の時、私は消え去る学校に思い出を語る先輩方を目にし、新しい学校への不安でいっぱいでした。2年生からは、新しい学校の、新しい伝統を作ることに、精一杯でした。

小友中学校が震災をきっかけにその歴史を終えることは、悲しいけれど、現実ですね。

しかし復興のその槌音が響かねばならないように、新しい中学校が作り上げられていかねばならないことも、また現実です。
後輩の皆さんには、良き小友中学校の伝統と、新たな伝統の創造を教え、導いてあげて下さい。

さて、村上さんご自身も、新たな高校生活への門出ですね。

私の人生を振り返るに、高校時代が一番充実していたし、その後の人生の中でも一番重要な時期だったと思います。
小友地区をご支援させて頂くきっかけの渡辺先生(もう一人Johnがいたので「わたじゅんと私達は呼んでいます。)とも、高校時代に知り合いました。
そして今も尊敬しています。
小友小学校への訪問では、もう一人私と出身地が同じで、東京でも夢を語り、面倒を見た後輩とも再会することができました。

高校時代には自分が何者かを自覚し、どういう人間が尊敬すべき人かを見極め、自分の人生の方向性を見定めるときだと思います。
同時に、一生つきあえる友人とも出会えることの多い時期だと思います。

復興の足取りは遅くとも、人生の歩みをとどめることはできません。

村上さんが実り多い人生の端緒として、実り多い高校生活、そしてその後の若き時代を送るようになることを期待しています。

平成25年3月21日(水)
村上 様へ

追伸:
私は大学で講義も行っています。
またあなたと同じような年頃の娘も保つ父親でもあります。
いつか東京や神奈川に来ることがあれば、
また何か私に力になれるようなことがあれば、ご相談下さい。
いつか、会えると良いですね。

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